その、後ろにあるもの
こんにちわ、生玖子です。
自己肯定感ってなんでしょうね・・・。
自分のことは自己肯定感が劇的に低い人間だと認識しておりますが。
先日Twitterを見ておりますと「愚息(ぐそく)」なる言葉について調べたくなりました。
たしか・・・「愚息」というのは自分の息子を下げる表現なのでそれを聞いたら聞いた本人は自己肯定感が低くなるとか、傷つくとかいう話だったと思います。
ぐ‐そく【愚息】
の解説自分の息子をへりくだっていう語。豚児 (とんじ)
(goo辞書から引用)
へりくだる。
敬語表現では謙譲語にあたるでしょうか?
よく尊敬語、謙譲語などと聞きますが、
尊敬語は相手を(イメージとして)自分の上に置いて表現。
謙譲語は自分を(イメージとして)相手の下に置いて表現。
深いところ、細かいところは文法的に色々あるのでしょうが、あくまでも日本語の中の敬語という技法ですよね。
作法とか、文化とかそういうもの。
存在するものは、存在するのです。
そこを踏まえて。
本来なら自分の子供を「愚息」という人は自分の子供のこと本気で愚かだと考えてはいないんだと思います。
そもそも本気で愚かな子供だったら、人に紹介したりなんてしないでしょうし。
作法兼、照れ隠し兼で使ってるんだと思いたい。
字面だけ見て判断するような人は多分「愚息」って使うことはない、はず。
でもまあ、いつでも自分の子供を「よく出来た子で」と紹介できるのが一番素敵ですけれども。
もし、自分のこどもを「愚息(愚女)」と言ったとして、実は相手に「あいつは自分の子供を悪く言って自己肯定感を下げているやつだ」と思われているとしたら、実に世知辛い世の中だと思います。
私なんかは「よく出来た子」なんて両親に言われたら、照れるし、居心地が悪いし、信じられないし、無理して言ってるんだと思って体調を悪くしてしまいそうです。
そこら辺は親子の関係性がすべてですよね。
良い関係性を築いている親子なら、それが本気かポーズがわかるのではと思います。
ぜひそうあって欲しいです。
いつでも、相手を褒めたり敬ったりして過ごしたいですね。
でも、謙譲語もなくなって欲しくはないと、ぼんやりと思いました。